読んでいる間、心は完全に子どもの頃に戻っていた。
ジャンルとしては児童文学だけど、それは大人の目線でこの3人組を客観的に見ればの話。
大人には間違いなく子どもだった頃があり、その何回かの夏休みのうち、間違いなくこんな時期があったはずだ。そう思い出させてくれる。
人の死を見てみたいと思い立った仲良し3人組が、「いかにも、もうじきお迎えが来そう」と、近所のおじいさんに勝手に目をつける。
そして、その瞬間を目撃しようと、夏休みが始まると同時に張り込みを開始する。
おじいさんからすると迷惑この上ないことで、俺だったら「ガキどもめ!」と怒鳴りつけたくなるだろう。
だが、やがて張り込みがバレてから始まる、3人組とおじいさんとの交流は、そんな感情などなかったかのようにすがすがしく、みずみずしい。
おじいさんにもパワーがみなぎって来たのがわかる。
すいかを切り、縁側で一緒にかぶりつく。洗濯物を4人がかりで庭いっぱいに干す。
荒れ放題だった庭の草むしりをしたら、今度は土ばかりで殺風景な庭になったので、近所の種やさんに3人組はこづかいで種を買いにいく。
その種やのおばあさんとのシーンも、ちょっとせつない。
せつないなぁと思っていたら、終盤におばあさんが再登場する。それが嬉しい。
3人組はおじいさんとの交流を通して、この夏にそれぞれが成長する。
主人公の「ぼく」が、おかあさんに梨を剥いてあげるところが印象的だ。
「ぼく」が剥いた梨をおかあさんが食べる。むしゃむしゃと、2玉も食べてしまった。
子どもたちのひと夏の成長が描かれている一方で、「子どもの目線で見た大人たち」も描かれている。
梨のシーンがまさにそう。「大人って、大変だよな」と、ここではおかあさんに同情していた。
そして、夏休みが終わる頃、おじいさんは本当に死んでしまう。
最初「おじいさんがどう死ぬか」としか思っていなかった3人組は、実際に死んでしまったおじいさんを見て、失うことのつらさを実感し、死ぬことの意味を知る。
魂の抜けた肉体は、もう、そこに「ある」としかいえない。読みながら、3人と一緒になって遊んでいたから、ここはちょっと泣ける。
こうして夏休みに本当の別れを経験した3人は、翌年の春、再び別れの時を迎える。
「オレ、もう夜中にトイレにひとりで行けるんだ。こわくないんだ」
そうか、よかったな。俺も一人でトイレ行けるぜ。じゃあな、元気でな。
読み終わって、この3人と別れるのがちょっと寂しくなった。
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